7年で体重が十キロ減。そして今は。

母の闘病中は毎年二キロずつ体重が減っていきました。53キロあった体重が43キロまで減り続け、やつれた自分にゾッとしていました。産業医にも、後七キロは太らないとと言われ続けました。そんな私が、
抗うつ剤を飲んで激太りしました。S S R I系の抗うつ剤は、太りやすいのです。
半年で10キロは増えました。1年後には80キロの大台にまで。「幸せ太り?」言われる度に、頷くしかなくて。より惨めな気持ちに拍車をかけました。2年後には80キロの大台まで後一歩までいきましたが、ちょっとした事件が私の体重を激減させました。
元々、不仲だった夫から、暴言をはかれ、過換気症候群が癖になってきていたのです。何とかスルーしようとしても、顔見ただけでフラッシュバックしてしまい、その場に倒れ混み、そこを夫が踏んづけるという日々。
近所に引っ越して、もらった父の家と自宅のダブル生活は鬱にも堪えました。勿論、主治医は行くなと言いますが、長年の主婦としての責任感というものが邪魔をします。行ったり来たりの生活は、また私の精神を破綻させて行ったのです。
ジェイゾロフトは途中で、湿疹が出るようになり中止に。
代わりにサインバルタ20ミリの処方になりましたが、これだけでは倦怠感が強く、効き目が、薄いのかをもたないのです。しかし、湿疹が出る薬を主治医は出してくれません。主治医からの散々な忠告にも関わらず、私は自宅と父の家の家事を精一杯やることにしか、自分には価値が無いのだと思い込んでいました。山のような洗濯物、散らかったリビング。溜め息ばかりが出ました。ただ、ずっと不思議に感じていたこと。
ギャンブル依存症の夫から家計を取り上げ、(調停で、決めました)お小遣い制にしていたのに。定年から嘱託に変わってから、お小遣いの要求がなくなったのです。
私の事をよっぽどバカにしているのか?気づかないとでも思っているのか?
こういう積年の怨みの感情も鬱にはよくありません。
家事に戻ると書類の山があります。
夫が既に年金を受け取って、自分名義の通帳に差し替えていることを知りました。私は、以前から疑念を持っており、お小遣い制だった夫がお小遣いのおの字さえ言わなくなり、羽振りまで良くなっていたので、家宅捜索していたのです。そして確定申告の書類を見つけ、夫に詰め寄りました。最初は知らぬ存ぜずの夫。銀行からの親展を見つけて、聞きただしました。強気な夫が激変します。「通帳はみせられへん。頼むわ。許してくれよ。ちゃんとするから」私は寒気で、気持ち悪くなりました。しかし、次に会った時に、また自爆のスイッチをいれてしまいました。「年金は65才からもらうんですね?」開き直った夫から「鬱になんかなりやがって。そんなお前に年金の事をとやかく言う資格があるのか?とりあえず、お前になんか取り分はない。たいした主婦もしてないくせに大口叩きやがって」
また過換気症候群が始まりました。それに加えて、耳の中に電車が走ります。キーギー、ガタガタと、脳が締め付けられるような圧迫。また夫が踏みつけていきました。大きな溜め息を吐いて。
④そして、突発性難聴に。
耳の違和感は収まりません。このままではいけないと耳鼻咽喉科に走りました。左耳は半分の聴力を失いかけてました。すぐに耳鼻咽喉科の先生から総合病院への紹介状を書いてもらい、一生涯聴こえなくなる確立が高いと言われ、診療内科の主治医と連携してステロイドを処方されました。1ヶ月、吐き気で苦しみ、体重が十キロ減りました。気分の悪さに加えて、夫への憎悪の念までが私を深い鬱に沈ませていきます。そう、この憎み、怨み、意地が私を一層、病の淵に近づけたのだとようやく知りました。
泥沼に自ら足を突っ込んで、助けてもらえる訳のない相手に、憎悪を抱き、わたしはすっかり混乱してました。
私の左半身は、完璧にマヒしました。立ち上がろうとしても天上が回ります。左半身はマヒして感覚が有りません。打たれ弱い自分にも嫌気がさしました。
鬱との闘いで、初期の苦しみの時以来、久しぶりに自死の思いが駆け巡りました。
ふと、イジメにあって、死を選ぶ子供たちの気持ちが分かるような気がしました。自死を持って、復讐を果たすのです。ところが、こんな事はナンセンスなのです。自分の尊い命を差し出す程の相手かどうか、見切ることが大切です。錯乱状態の時は一度、スイッチを切るのです。するとみえてきます、復讐をしてもダメージを与えるような人間ではないと。分かってきます。どうか心を諌めて。今のあなたは生きるに値する人間だと精一杯感じることです。すべての悲しみ、憎しみを身体中から放り出して、脱け殻のような自分でも良い。生きてるだけで十分だと抱きしめましょう。